千里高校8期生のHPに私、「国守のタンザニア物語」のサイトを作っていただき、嬉しく思っています。


 私が、青年海外協力隊員として東アフリカのタンザニアに赴任したのは1991年の12月でした。もう10年も前のことです。それから2年間ブコバというビクトリア湖畔の高校 (IHUNGO SECONDARY SCHOOL)で生物を現地の高校生に教えていました。それも英語でですよ。またその間、妻も協力隊員としてマレーシアのサンダカンで活動していました。ということで変わった夫婦でもあります。(絶対に別れると散々言われましたが、2年間の超遠距離恋愛を経験し、帰国後も仲良くやっています。)


 日々、英語での教材研究に追われる毎日でしたが、休日はバイクでツーリングをしたり、ビクトリア湖で泳いだりしました。また、長期休暇では、ンゴロンゴロ・セレンゲティなどのナショナルパークのサファリを楽しみました。それだけではと思いもの足りず、老後楽しみにとタンザニアの民話などのお話を調べてみました。  タンザニアでは、アラブの影響を受けたスワヒリ語が公用語として存在します。そして立派なスワヒリ語文化も確立しています。しかし、その文化は伝承文化として脈々と伝えられることが多いようです。私が調べたいと思った民話などの「お話」は文字としてはほとんど入手することができませんでした。(もしも手に入れても、スワヒリ語初心者には訳することは無理でしたが)そこで、生徒達に自分達の知っているSTORYを教えてほしいと頼みました。これぞ、まさしく伝承文化と一人悦に入っていました。また、英語の絵本を探したりもしました。そんな風に得たSTORYをここで紹介します。山本芳幸君のアドバイス通り、できるだけタンザニア時代に記したまま掲載します。ご笑読ください。


2002年1月  

▲近所の鼻たれ達。後ろは赤道直下のビクトリア湖
▲高田ゆうこがやって来て、マサイ族と記念撮影

 

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