デンマークでの出産

 

 39歳で初産、しかも知らない土地での出産に不安はなかった、と言えばうそになる。97年の春、私のデンマ−クでの生活は、初めての妊娠というおまけ付きで始まった。

 デンマークでは、妊娠すると一番お世話になるのがヨーモアと呼ばれる助産婦で、定期検診もヨーモアセンターで、ヨーモアがしてくれる。赤ちゃんの心音を聞くのは、ラッパのような形をした木製の筒のような道具。お腹に優しくあてて、ヨーモアは注意深く小さな心音を聞き分ける。デンマークの医療事情が遅れている訳ではなく、機械を使って簡単にできることを、今でもこういう方法でやっている。デンマーク語ができないこともあり、始めは不安も感じたが、何でも機械に頼る今の時代に、なんだかあったかい感じもして、次第に信頼するようになっていった。日本と違って、医者にかかる回数はごく少なく、通常、ホームドクターに最初の診断をしてもらう時と、あと2回程。出産する公立の総合病院には1回しか行かない。でも、必要以上に心配することはないのだから、特別なことが起こらない限り、これで十分なのだと納得していた。

 内診を受ける回数も少ないのだが、初めて内診を受けた時、そのオープンなやり方に少し戸惑った。特に内診室なるものはなく、カーテンもなく、医者と目を合わせながら、内診してもらい、赤ちゃんの様子などを聞く。日本人にとっては、慣れないことでもあり、多分日本ではこういうやり方はできないのかもしれないが、陽と陰とでもいうか、その感覚の違いを見た。   私にとって一番の不安は、陣痛が来た時、あるいは何か起こった時、ひとりだったらどうしよう、というかなり幼稚なものだった。いくら英語ができても、デンマーク語ができないという言葉のハンディーがあったからだ。幸い、陣痛は夜中に始まり、夫とともにゆっくり準備をして、公立の総合病院に向かうことができた。準備と言っても、持って行く物はしれていた。下着からパジャマ、靴下、タオルにいたるまで、すべて病院にそろっているので持って行く必要はなかった。腹ごしらえをするくらいのものだった。病院に着いてから、ゆっくりとシャワー、そして分娩室には浴槽もあり、陣痛に耐えながら、お風呂で少し気持ちを落ち着けていた。

 デンマークでは、出産の際、必ずと言っていいほど夫や近親者が立ち会う。夫が立ち会わない場合、妊婦の親友が立ち会うというケ−スもよくある。私の場合は、もちろん夫が立ち会ってくれた。Tシャツにジーンズ姿のまま、白衣など着せられることなく、ごく自然だった。出産を仕切るのは助産婦のヨーモア。医者は赤ちゃんが生まれてから、必要に応じて初めて顔を出す。出産はヨーモアの指示のもと、3人の協同作業となった。もともと呼吸法などしなくていいと言われており、ただ深呼吸を指示された時にするだけだった。そんなにうまくはいかなかったが、それでも比較的安産だった。ヨーモアが、生まれてすぐの、まだへその緒も付いたままのヌルヌルしたわが子を、すぐに私の胸に抱かせてくれた。涙があふれて止まらなかった。わが子は初めてのおっぱいを一生懸命吸っていた。

 デンマークでは産湯を使わない。胎脂は自然に吸収されるのを待つのがよいという。従って、生まれてすぐのヌルヌルのわが子も、体を拭いてもらうだけだった。初めてお風呂をしたのは、生まれてから3日目のことだった。その後も、週に3回くらいのペ−スで十分だと言われ、育児も日本のやり方とは違うことを、さっそく感じていた。

 デンマークの公立の総合病院では、病室は、2人から4人部屋で、赤ちゃんも生まれたその瞬間から、お母さんといっしょに過ごすことになる。日本のように新生児室なるものはない。いきなり24時間体制の育児が始まり、まだ疲れている体にムチを打つ思いで、泣くことしか知らないわが子に、おっぱいやら、おむつ変えやら、さっそく母親になったことを思い知らされた。もちろん、看護婦がいろいろ教えてはくれるが、厳しく仕込まれているといったほうが、当たっているように思えた。よその子が泣けば、せっかくいい調子で眠っていたわが子も起こされ、泣きわめくはめになることも少なくなかった。早く退院したいと、心から思った。平均で4〜5日めには退院するので、退院する頃には、もう病院は十分だ、という思いだった。

 ただ、各病室にトイレとシャワーが付いていることと、食事はなかなかよかった。朝は、ホテルみたいに何が欲しいか前日の夜に言っておけば、用意してくれるし、昼はバイキング形式で好きなものを好きなだけとれる。夜はセッティングされているが、宗教上の理由や、その他さまざまな民族的配慮から、事前に例えば豚肉を食べることができるか?というようなことを聞いてくれている。ここは、やはりヨーロッパ。特にデンマークにはトルコやパキスタンからの移民が多いので、その事情も垣間見たように思えた。