タンザニアTopics

 

キリマンジェロコーヒー

 ある日本の青年がタンザニアを旅行していたことのこと。青年は一人のタンザニア人に話しかけられいろいろと話をしたらしい。その青年を気に入ったタンザニア人は青年を自分の家に招待したらしい。そのタンザニア人は青年においしいコーヒーを飲ませてあげるというので、青年はキリマンジャロコーヒーを期待してタンザニア人の家に向かった。家に入って青年の前に出されたのはカップ、ポット、スプーン、砂糖そして缶に入ったネスカフェだった。タンザニア人は自慢げにネスカフェの缶を青年の前に差し出した。

 この話は、私のタンザニア行きを知った一人の友人が私に話してくれたものである。この話から察するにタンザニアでは最高のコーヒーはインスタントコーヒーということになる。私はこのことを肝に銘じてタンザニアに向かった。

 タンザニアに来てわかったことだが、タンザニア人はコーヒーよりもミルクと砂糖たっぷりのチャイ、つまり紅茶の方をこよなく愛しているようである。一杯のチャイに山盛り2〜3杯の砂糖を入れおいしそうにすする姿は幸福そのものである。(あんなに砂糖をたくさん摂って、将来は間違いなく糖尿病だな、と思うのは飽食人種、日本人の思い上がりかもしれない) もちろんインスタントコーヒーを飲む時も山盛りの砂糖は必携である。一流といわれるレストランでもインスタントコーヒーを出すところが多い、その上ウェイターはそのインスタントコーヒーに自信さえあるような態度である。メニューにもネスカフェと堂々と書いてあるのだから恐れ入ってしまう。では、あの有名なキリマンジャロコーヒーはどこで飲めるのだろう。すべて輸出されてしまうのであろうか。私は日本では一日5杯はドリップコーヒーを飲んでいた身なので、本場で本物を飲みたくて仕方がなかった。その時はちょうどタンザニアに来てから一月くらいたった時でコーヒーの麻薬が切れた時でもあったのだろ。そこで私は「キリマンジャ山を見ながらキリマンジャコーヒーを飲む」という計画を立て、実行することにした。

 首都ダルエスサラームからキリマンジャロ山麓の町モシまで列車に乗り込んだ。夕方4時に出発し、着いたのが翌朝8時、570kmを16時間で走るのんびり埃まみれの旅である。時速35kmという考えられないような遅さ。モシに着いた私はクタクタだったが、私はすぐに元気になってしまった。疲れた私を待っていたのは白い頂のキリマンジャロの雄姿であった。キリマンジャロは南緯3度に位置する5895mのアフリカ最高峰の山であることは余りにも有名である。「キリマンジャロとはスワヒリ語でKilima−山、njaro −輝くの意味で、『輝く山』もしくは『白き山』といわれている」というガイドブックの一文が浮かんできて、しばらくボ〜と神秘的な山に見入ってしまった。そしてこの山を見ながらのコーヒーを想像し早くも興奮し出していた。モシという町はキリマンジャロのお膝元なので高度もあり、朝方は吐く息も白いくらいである。そんな涼しい町を私はコーヒーショップを求めて歩いた。急がねばならなかった、それは朝のうちは姿を見せているキリマンジャロが昼には隠れてしまうことが多いと聞いたからである。私はあくまで「キリマンジャロを見ながら」にこだわっていた。

 『COFFEE BAR』という店を見た時、私は直感的にその店に飛び込んでしまった。メニューを見るとKAHAWA/HOT COFFEE 50 shiling となっている。安い! コーラより安いのである。(カハワとはスワヒリ語のコーヒー、約30円であるがこれは1992年1 月のことで、今はもっとシリングの価値が下がっている) とにかく、私はKAHAWAを頼んだ。外にはキリマンジャロと舞台の準備はついに整った。後は私が本物を飲むだけ。私はコーヒーが来るまで、もうすぐ飲めるであろうキリマンジャロコーヒーのことを考えた。

 タンザニアの最大の輸出品はコーヒーである。最初のコーヒーの苗はヨーロッパ人持ち込み大農園で栽培されたのであろう。ヨーロッパ人の嗜好品としてコーヒーの需要は高まりそれにともないコーヒー園はその面積を広げていったのことは誰にでも想像がつく。そして、プランテーションという搾取的やり方でこの国にはほとんど得るものがなかったことは世界の歴史が示してくれている。イギリスからの独立後、皮肉にもタンザニアも植民地時代と同様コーヒー産業に頼らざるを得なかった。産業のないこの国ではコーヒーは貴重な換金作物なのである。このキリマンジャロ付近はもちろんこと私の住んでいるブコバでもコーヒーの真っ白の花を見ることができる。各地で栽培されたコーヒーは輸出される時すべてキリマンジャロコーヒーとして扱われるようである。つまり日本で味わうキリマンジャロコーヒーは正確にはタンザニア産コーヒーなのである。これは、本当は少ししかない松阪肉がスーパーマーケットで手に入る日本の不思議な流通機構と同じである。しかし、そんなことは承知で私は日本で飲むキリマンジャロコーヒーが好きだった。豊かな香りと苦味を私なりに理解しているつもりでいた。そしてもうすぐ本物を体験できると私は心踊らせていた。

 しかしである。ウェイトレスが持って来たコーヒーはレギュラーコーヒーの雰囲気がない。それはどう見てもインスタントコーヒーにしか見えないのである。カップを口元に持ち上げた。香りが感じられない。一口飲んでみた。甘い、とてつもなく甘い。これはもう完璧な程にタンザニア人好みのインスタントコーヒーである。がっかりである。遠路はるばるやって来て、キリマンジャロを見ながらインスタントコーヒーではシャレにもならない。ここはキリマンジャロコーヒーの地元なのにどうしてインスタントコーヒーなんだと一人ブツブツ言っていた。やはり友人の話は本当だったんだなと納得するより仕方がなかった。それならばと開き直りタンザニア流でと、ミルクをたっぷり入れて一気にコーヒーを飲み干した。ん……ん…… その瞬間のショックたるや。あ〜どうしよう… カップの底を見て私は愕然としてしまったのである。

 何と飲みほしたカップの底には茶色のコーヒー豆、あの挽いたコーヒー豆が残っていたのである。それはまさしく豆で入れた本物のコーヒーの証拠なのである。あ〜情けない。あまりの甘さにだまされたのか、コーヒーの味を忘れてしまったのか、はたまた私がコーヒー音痴だったのか私には何も言う資格はない。ただひとつだけはっきり言えることは、そのことがあってから私はコーヒーを飲むのが少しだけ怖くなってしまった。

(キリマンジャロを望む町モシにて)  

 

▲『輝く山』キリマンジャロ ▲キリマンジャロを背に、モシにて

 

 この文章は1992年1月の旅行を元にしたものです。そして、書いたのは10月です。今は2002年の3月です。この文章をHPに載せるために何かキリマンジャロコーヒーのことをインターネットで検索していたら、「アフリカフェ」にヒットした。アフリカフェとは私の住んでいたブコバのインスタントコーヒーのブランド名である。そして、このアフリカフェを日本でも買えることがわかり小躍りしているわけである。保証します。ネスカフェより風味があり美味しいです。洗練された大人コーヒーを言うより、荒削りな若僧のコーヒーです。是非とも試してみてください。アフリカフェのアドレスは

  • http://www.africafe.co.jp/index.html

    ついでに少しcoffee break。
    スワヒリ語の「カハワ」はアラブ語の「カフワン」の影響を受けた言葉です。現在のコーヒーの飲み方つまり、収穫したコーヒーの実を乾燥させ、煎り、つぶしてから、ドリップする方法は、実は16世紀になってアラビア人が編み出したもののようです。そしてそのコーヒー豆の原産地はエチオピア。エチオピアでは、今でもコーヒーの葉を煎じて飲む習慣や、コーヒーを入れる際には必ずお香をたくなど独特のコーヒー文化があるそうです。
    そのエチオピアから発生したアラビカ種の流れと、コンゴから発生したロブスタ種の両方のコーヒーの木が存在するのが私の住んでいたブコバです。ブコバの人曰く「アラビカ種は種が小さく、ドリップに適していてる。ロブスタ種は種が大きく、インスタントコーヒーに適している」。そして「キリマンジャロよりブコバのコーヒーの方がうまい」とも言うのです。だから、アフリカフェの工場がブコバにあるのかもしれません。
    またブコバには一風変わったコーヒーの食し方があります。コーヒーの実を丸ごとゆでて、そのまま食べるのです。バナナの葉でくるまれた三角の小さなちまきのようなものとしてそこらへんの店で売られています。それをぽいぽいと口に放り込み、かみつぶすのですが、いくらコーヒー好きの私も1度買っただけでした